2012 . 1.17 更新
記:小林(益久染織研究所)
二人の出逢いは1975年、『染織と生活社』編集長の富山弘基氏の紹介。
益久染織研究所の前身である「手織りひろた教室」開業間もない頃に。
その後、前田先生は当社の顧問に就任され、そして社名を命名して戴いた。
ふと、思った。改めて伺ったことはなかったので。
(出逢った頃、お互いの事をどう思ったのだろう・・)
- 前田先生が京都平安博物館(現:京都文化博物館)の歴史講座『色の文化史』の講師を、その受講生として社長(廣田)という場面ですが、お互いにどのように思ったのでしょうか?
前田先生
「…不気味やったねえ~、それは。廣田さんは一番前で聞いてはったんやけど、ひとつもメモも取らず、ただじっと私の話を聞いているだけ。一体何なんやろう?と思いました、いや、びっくりです。そんなこと初めてですからね(笑)」
- そのようにおっしゃっておられますけれど、一番前に陣取っているということは、前向きな姿勢には変わりないかと思いますが・・、ただじっと聞いているだけというのは・・・、どのような意図があったのでしょうか?
廣田
「(笑)いやね、初めの2、3回受講した時に、(ああ、これは生半可な気持ちでは受講できないなあ・・)と。メモ取るだけでも大変で、どうしたものかと。そこでね、古代染色における知識や技術はとてもじゃないけど困難なので、“前田雨城という生き様”をしっかりと聞きとろうと考えたわけですよ、そういうこと(笑)」